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房総球奏考

野球応援だったり観戦日記だったり

第1回 小林徹(習志野) 「ロボットではいけない」感性を重んじた野球

監督 野球 高校野球

千葉県の高校野球史の特徴は、年代ごとに勢力図がはっきりと移り変わり、それぞれリーダー格となる学校が存在したことにある。


たとえば、1960,70年代は、「習銚時代」とも言われ、おおよそ習志野銚子商が交互に甲子園に出場する時代が続いた。


成東や千葉商など、次点の学校はいくつかあったが、千葉県中の学校が打倒銚子商、打倒習志野を合い言葉に切磋琢磨した時代で、ピラミッドの一番上に君臨したのがこの2校である。


そして、習志野が1967年、1975年の2度、銚子商が1973年に全国制覇を果たし、千葉県は「野球王国」と呼ばれるようになった。


その後、1980年代に台頭したのが、小枝守監督率いる拓大紅陵である。


緻密さと豪快さを兼ね備えた野球で、創部10年足らずながら甲子園出場5回、千葉県の顔となった。

盤石の強さを誇った1990年代の市立船橋


続いて、1990年代新興勢力として頭角を現したのが、市立船橋


この市立船橋で、1991年4月から監督を務めていたのが、現在習志野高校で指揮を執る小林徹監督である。


1991年の春、就任後すぐの県大会で準優勝し、関東大会に出場。


その後もコンスタントに上位に顔を出すようになり、1993年の夏に2年生の小笠原孝(現中日2軍投手コーチ)を擁し、悲願の夏の甲子園初出場(同年春、コーチ時代の1988年春にも出場)。


1994年の春も県を制したが、常に結果を残したのは夏の大会であり、1996~98年には、1948年の成田以来県50年ぶりとなる夏の大会3連覇を成し遂げる。


出場校数の増加や各校の戦力差の縮まりを考えれば、1940年代と1990年代の1勝の価値の違いは容易に想像できるだろう。


98年の市船の夏3連覇は、千葉県高校野球史に残る偉業である。


夏の大会では、その翌年からも3年連続のベスト4進出し、当時の市立船橋は千葉県のリーダーとして他校を引っ張る存在となった。


現在、日体大柏で監督を務めている金原健博氏が、京都韓国学園(現・京都国際)でチームを率いていた1990年代、千葉県の高校野球といえば市立船橋であり、小林監督であったとの当時の印象を回想する。


そのためか、金原監督は今でも小林監督に一目置き、対戦する際は並々ならぬ対抗心を燃やしているとも聞く。


これは金原監督に限らず、当時の他県の多くの高校野球関係者は同様に「千葉県と言えば小林徹」のイメージは抱いていたのではないか。


そのくらい、当時の千葉県で小林徹の名は絶対的だった。

監督に執着心はない


小林監督は2001年秋に千葉県を制したその年度いっぱいで市立船橋から松戸南へ異動となる。小林監督が述懐する。

松戸南の最初の3年間はバレー部顧問。野球の現場から離れて悶々とするのかと思っていたら、案外そうでもありませんでした。


この松戸南への異動が、その後習志野に赴任するための布石だとも言われるが、実際のところは不明である。


松戸南には計5年間在籍し、最後の2年間は野球部の部長を務めたが、若い監督の邪魔になるのを避け、野球部の練習には一切顔を出さなかったという。


習志野に異動となった2007年、このとき習志野の監督を務めていたのは、小林監督の習志野時代の2つ上の先輩である加藤孝順氏だったが、翌春、加藤氏が異動となり、2008年の春に母校・習志野の監督としての機会が巡ってくる。

部長と監督の職を交代したんですが、僕が一番嫌なのは、相手の先生を追い出したみたいになってしまうこと。でもこのときは、そんなの関係ないよと言ってくれていたのでそれだけは救いでした。


あくまで学校人事に任せ、縁があれば努力を惜しまないというスタイルは、市船時代から変わらない一貫したものだという。


市船の監督時代には、学校の人事についてこう語っている。

紙切れ一枚のこと。野球部のないところでも、それは全くかまわない。逆に、私学で指導するような気持ちは一切ありません

異彩を放った2011年の甲子園


習志野の監督に就任した2008年、夏こそ3回戦敗退に終わるが、秋は二次予選から勝ち上がり、千葉県制覇、関東大会も準優勝となり翌春の甲子園出場(33年ぶり)を決める。


2010年は、山下斐紹(現ソフトバンク)、福田将儀(現楽天)らを擁し、春の関東大会準優勝。


山下を中心とした長距離打者が豪快にホームランを打ち込むこともあれば、福田を中心とした俊足打者が走塁で相手の隙を突くという、柔剛を兼ね備えたその野球は、1980年代の拓大紅陵に匹敵するほど。


「柔」の部分である相手の隙を突く野球は、小林監督の教えの賜であり、その手腕がいかんなく発揮されたのが、2011年の夏の甲子園である。


初戦の静岡戦は宮内和也(NTT東日本)のホームスチールが大きなトピックとして持ち上げられるが、2回に3打者1ヒット2犠打4球で得点を奪った攻撃や、サインミスに終わったが1死2塁の場面でボーク後の初球にヒットエンドランを試みるなど、セオリーではなかなか考えられないような作戦は、習志野の特徴ともいえる。


2回戦の明徳義塾戦では、初回先頭四球の次の初球ヒットエンドランを仕掛け見事に成功、中盤の3塁のチャンスでは2番打者の福山慎吾が初めからバントの構えをしてそのままスクイズを敢行するなど、多彩な攻撃のパターンがあるだけでなく、同じ作戦をするにしてもその形態は微妙に変わる。


3回戦の金沢戦は好投手釜田佳直楽天)相手に打順を組み替え、接戦をモノにした。


この3戦で勝利投手はすべて違う投手であり、1大会で勝利投手が3人という記録は、長い高校野球の歴史の中でも1992年の拓大紅陵に次ぐ歴代2位の記録である。


また、千葉大会と甲子園では微妙にオーダーが変わる。


千葉大会準決勝・決勝で3番を打った宮内は甲子園では不動の1番として固定化、千葉大会準々決勝で怠慢プレーをして以降スタメンを外れていた小山優樹は甲子園で全試合サードスタメンを務めた。


その宮内が4試合で11打数5安打3打点で出塁率は.667と1番打者としての役割を十二分に果たし、小山は4試合で打率.364とそれぞれ起用がハマった結果となった。


千葉大会での終盤戦は、どちらかといえば勝つ見込みがある中で、確実性のある選手を主に起用したが、甲子園では確実性よりも爆発力を期待した選手起用となった。


このあたりも策士と呼ぶにふさわしい。

ベースとなっている石井監督の教え


1967年に習志野の投手として、1975年に習志野の監督として全国制覇を果たした恩師・石井好博氏について小林監督はこう語る。

当時から先輩であり、監督であり、雲の上の存在です。いまこうしている筋道をつけてくれたのも石井監督。一番ラッキーだったのは、監督さんの下で野球ができたことです


小林監督を指導者の道に導く鶴の一声も、石井氏からである。以下石井氏

頭がいい子なので、上で野球をやるよりは指導者がいいんじゃないか、ゆくゆくは習志野の監督にも、というつもりはあった。だから、高校の教員というのはどうなんだ?と水を向けたし、学生時代に指揮を執らせたことも・・・


そんな石井氏が最も大事にしたのが、”感性”だった。


高校時代、学生時代を通じて、石井氏の下、小林監督は感性を磨いた。

ロボットではダメだ、お前たちが野球をやるんだと言っておられました。練習試合でも監督なりのゲームプランがあるはずなのに、たとえ選手がミスをしても黙っている。そして、次の試合でまた同じ選手がミスすると、そこでお前ダメねとメンバーから外す。何がダメなのかは言いません。もし試合に出たいのなら、自分でどうあるべきかを考えなさいということなのです。こうした石井先生の教えが、僕の指導の素地になっています


このような、選手に1から10まで教えない指導法は、まさに小林監督が石井氏から踏襲したものといえる。


選手にカードの色だけを提示し、そこには説明書はない。


そのカードの色の解釈は各々に任され、指導者の役目はそこで終わる。


小林監督、すなわち石井氏の指導者像とは、先頭に立って選手に道筋を与えるものではない。


市船を率いた当時の小林監督は指導法についてこう語っている。

僕らが主体になってはいけない。僕らはスタッフであって、ラインではない。ラインは選手。スタッフはラインをサポートし、その逆であったらそれはいいチームとはいえない

感性の野球


選手が感性を磨くためのサポートを最大限する。


そしてその感性の野球こそ伝統の習志野野球の根底にある。


なぜ、感性を何よりも重要視するのか。


一つとして、石井監督の教えだから、というのはあるだろう。


また、野球に当てはめれば、その特殊性を挙げる

野球という競技には、特殊性があると思っているんです。突出した選手がいるわけでもないチームでも、人間性をうまく生かすことによって十分競う集団になれる。技術だけで結果が決まってしまうようではつまらない


技術の不足は感性で補うことで元々ある戦力差を埋めることができる、ということだろう。


感性というと、生まれ持った先天的なもののようにとらえられがちだが、トライ&エラーの繰り返しの中で、深く思考する経験から得られる後天的な部分が大きい。


まずは、非効率的であろうと、多くの情報に触れることが感性を磨く第一歩であり、何度か試していくうちに、成功する時としない時の条件を細分化してみることで、一つの法則性が見えてくる。


そのことに気がつくことが、感性ではないだろうか。

雨が降ることを予想して傘を持ってくる選手と、情報に触れずに持ってこない選手では意識に差が出る


小林監督は選手に「ニュースを見ろ」と口酸っぱく言う。


直接野球とは関係ないかもしれないが、日頃から多くの情報に触れることで「気づく力」を習慣化させる。その訳をこう語る。

野球でも私生活でも、何かに気づくという感性はこの先ずっとつながっていくと思うんです。社会人になっても、気配りやひらめきがある人って重宝されますから


これが感性を何より重要視する一番の理由かもしれない。


そうして磨いた感性が何をもたらすか、それは、BFA U-15日本代表監督の伊藤将啓監督ら石井氏の教え子の多くが、中学・高校野球指導者として活躍している状況を見れば明白だろう。

ネット裏の常連


小林監督は、今でも大会期間中になると毎日どこかしらの球場で試合を観戦しながら相手の考えや表情などをじっくり観察し、感性を磨く。


2011年の夏の甲子園では、自分たちの試合がない日はほぼ毎日ネット裏で試合を観戦していたことも話題に上がった。

よその試合をよく見るのも感性を磨くため。試合を俯瞰したり、ブルペンからベンチまでミクロで見たりして感じる力を磨く。テレビでは決して感じられないことも多く、目の前で試合を見ることが、ナマの教材なんです


観戦を重ねた小林監督の試合中の選手への指示はいたってシンプルである。


「内角を投げてみな」「カーブを狙ってみな」


なぜ内角か、カーブかは説明されない。


一見、何となくの指示にも聞こえることも、そこには何試合も観戦して気づいたいくつもの根拠が存在するのだろう。


「なぜこの人はこんなことを言うのか」選手にそう思わせれば小林監督の目指す野球が近づく。

ミステリアスな一面


意図的なのかはわからないが、小林監督はメディアのインタビューに対しても、「この人は何を考えているのか」と感じさせることが多い。


1993年に夏の甲子園でベスト4に進出した際のインタビューで、「怖いものはなにか」という質問に対して、「エースの小笠原(孝、現中日2軍投手コーチ)のテストの点数も一つだが、小笠原はまだましで、4番にゴリラみたいな顔の小川(幸二、元王子製紙)という選手がいて、あれは顔と同様に頭ももはや人間のレベルではない」と淡々と答えているが、これは冗談なのか本気なのか(笑)


また、小林監督の勝利監督インタビューは実に味気ない。


常にうつむき加減でインタビュアーと目を合わせようとせず、「うちは力がない」というテンプレートを繰り返し口にし、本心かわからない相手への賛辞を送る。


そう書いていて、かつてこんなことを言っていたことを思い出した。

テレビもできれば僕は映さないでもらいたい。だって顔がしれてしまうことで、駅前の立ち食いそば屋に寄るのを躊躇するとか、いいことがあまりないから


シャイであり寡黙であり、世間に色目を使わない、そんなところも小林監督の魅力だろう。







参考

監督と甲子園6

監督と甲子園6



小林 徹(こばやし とおる)
1962年4月29日生まれ

習志野高(1980夏 千葉大会優勝 甲子園2回戦敗退)

1回戦 習志野2×-1倉吉北(延長10回)
2回戦 習志野0-7東北
甲子園の投球成績 2試合 17回 215球 20安打 7三振 5四死球 8失点 5自責点 防御率2.65

青山学院大(1981年4月~1985年3月)

市船橋高コーチ(1985年4月~1991年3月)

市船橋高監督(1991年4月~2002年3月)

甲子園大会

出場 4回(1993春夏、1996夏、1997夏、1998夏)
4強 1回(1993夏)
8強 1回(1997夏)
通算8勝5敗

関東大会

出場 5回(1991春、1992秋、1994春、1996春、2001秋)
4強 2回(1992秋、1994春)
通算6勝5敗

千葉県大会

優勝 6回(1993夏、1994春、1996夏、1997夏、1998夏、2001秋)
準優勝 2回(1991春、1992秋)
4強 7回(1994夏、1996春秋、1998秋、1999夏、2000夏、2001夏)
8強 6回(1991秋、1992秋、1993春、1999春、2000秋、2001春)

松戸南高(2002年4月~2007年3月)

習志野高監督(2007年8月~)

甲子園大会

出場 2回(2009春、2011夏)
8強 1回(2011夏)
通算4勝2敗

関東大会

出場 5回(2008秋、2010春、2011春、2012秋、2013秋)
優勝 1回(2011春)
準優勝 2回(2008秋、2010春)
通算12勝4敗

千葉県大会

優勝 6回(2008秋、2010春、2011春夏、2012秋、2013秋)
準優勝 2回(2013夏、2015夏)
4強 4回(2009春夏、2010夏、2016夏)
8強 5回(2011秋、2012春夏、2013春、2014秋)


甲子園通算 12勝7敗 勝率.632
関東大会通算 18勝9敗 勝率.667

主な教え子

中村安孝(市船橋~立正大~ローソン)
伊藤夏樹(市船橋~東京農業大シダックス
石神康太(市船橋~日本大~習志野高コーチ)
藤井浩一(市船橋~東京ガス
小笠原孝市船橋~明治大~中日)
小川幸二(市船橋~新王子製紙春日井)
興松重典(市船橋~東京農業大バイタルネット
長尾康博(市船橋~明治大~新日鉄君津)
相馬幸樹(市船橋~大阪体育大シダックス中央学院高監督)
福元淳史(市船橋~中央大~NOMOベースボールクラブ~巨人)
増村慎一(市船橋~東京農業大JR東日本東北)
林昌範市船橋〜巨人〜日本ハムDeNA
村田和哉市船橋〜中央大〜日本ハム
山下斐紹(習志野ソフトバンク
福田将儀(習志野~中央大~楽天
宮内和也(習志野~明治大~NTT東日本
泉澤涼太(習志野~中央大~明治安田生命
在原一稀(習志野~中央大~JFE東日本)
木村光彦(習志野~日本大~東京ガス