大阪桐蔭の応援には何が足りないのか
「房総」と銘打っておきながら今回は甲子園のお話。
第89回のセンバツが開幕し、2試合連続の延長15回引き分けもあり、連日白熱した戦いが繰り広げられている。
最近の甲子園の楽しみ方が、テレビから聞こえるブラスバンドが奏でる応援曲やアルプススタンドからの声援に耳の居心地を探すことだが、今年のセンバツでもグラウンド同様アルプスでも熱奏が繰り広げられた。
まずは初日に登場した日大三。
パーカッションの数が増えたのか、1曲1曲の迫力が増したことで「come on!」他オリジナル曲が余計引き立ち、その音圧はテレビ越しからも伝わってきた。
対戦相手の履正社も吹奏楽部員わずか17人ながら1人あたりの音量の大きさ、そして伝令中は演奏のボリュームを落とす駒苫式ミュートという常連校でもなかなかできない粋な演出を披露した。
出場校の中で最も驚いたのは、これまで定番曲中心にこれといった特徴のなかった健大高崎の応援が、社会人野球チームHonda鈴鹿の応援曲を採用したことにより大きく様変わりしたことである。
しかも、チャンスでは「コンバットマーチ」含め「全開ホンダ」と「ノンストップホンダ」を交互に演奏することで味方や観客を飽きさせない工夫も大きな変化を感じた一つであり、選曲一つでここまで劇的に変わるものかと感動さえ覚えるほどであった。
履正社のように野球部が甲子園に出場するようになったことで吹奏楽部の創部に至るケースや、健大高崎のように甲子園常連になるにつれて応援の形態に変化が見られるケースもあるなど、野球部と吹奏楽部(野球応援)の活躍は常にリンクしている。
そんな中、演奏のレベルは申し分ないのに全体的な応援として振り返ると物足りなさを感じずにはいられない学校がある。
今や全国一の強豪となった大阪桐蔭である。
テクニック重視の大阪桐蔭
吹奏楽部の創部は2005年と比較的歴史の浅い部活動だが、創部2年で全日本吹奏楽コンクールに出場、2010年に全日本マーチングコンテスト3年連続金賞、全日本吹奏楽コンクールも2011年に3年連続の金賞を受賞し、最近でも昨年10月の全日本吹奏楽コンクールで金賞、11月には日本管楽合奏コンテスト(日本音楽教育文化振興会主催)大編成の部で最優秀グランプリ賞を受賞した。
大阪桐蔭には、「Ⅲ類」と呼ばれる専門性を高め、全国の頂点をめざす体育・芸術のコースがあり、このクラスに属する部活動は強化クラブの位置づけで扱われる。
野球部やラグビー部、バスケットボール部などの全国屈指の強豪クラブをはじめ、2005年創部の吹奏楽部も創部当初からこの「III類」に属しており、その学校の思惑通り、確実に、急速に力をつけ、全国屈指の名門となった。
野球部は1991年に全国制覇を果たしているが、全国的な強豪として認知され始めたのは現在の西谷浩一監督となった2002年以降、もっと言えば「平田・辻内」で甲子園を沸かした2005年以降だろうか。
そこから急傾斜で成長曲線を描いていくが、それは吹奏楽部の成長曲線とも重なる。
私は素人なので演奏技術の良し悪しを解説することはできないが、聞き心地は確かに良い、それは吹奏楽経験者も認めるところなので間違いないのだろう。
では何が問題なのか。
上記の記事は野球応援に精通されている方が書かれた2006年の記事だが、私が言いたいこととおおよそ同じものが書かれている。
2006年で他の方が感じたことをその11年後自分が同じ感想を持つというのは、年々実績を積み上げてきた吹奏楽部に対して失礼な話かもしれないが、それは演奏技術と野球応援が必ずしもリンクしないということが言えるのではないだろうか。
たしかに、2005年前後の定番曲中心の選曲の脱却を図り、最近はその年のトレンド曲を多く取り入れ、「you are スラッガー」という大阪桐蔭発祥の曲も生み出すなど、応援形態の再構築の意思は感じられる。
2005年と現在の演奏曲を比較してみよう。
2005年夏準決勝 駒大苫小牧戦
ポパイ
TRAIN-TRAIN/THE BLUE HEARTS
サウスポー/ピンクレディー
タッチ/岩崎ひろみ
狙い撃ち/山本リンダ
日曜日よりの使者
聖者の行進
ルパン三世のテーマ
ワイワイワールド(アラレちゃん)
夏祭り
2017年春1回戦 宇部鴻城戦
桐蔭ファンファーレ
サーカスビー(The Circus Bee)
アフリカンシンフォニー(African Symphony)
SHAKE/SMAP
君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)
前前前世/RADWINPS
We will rock you/Queen
パワプロBGM
紅蓮の弓矢
上からマリコ/AKB48
You are スラッガー
恋/星野源
ウィリアム・テル 序曲(William Tell)
どこまでも~How Far I’ll Go〜(モアナと伝説の海)
この選曲からもわかるが、大阪桐蔭は当初PL学園をモデルにした応援を目指していたのではないか。
「聖者の行進」「アラレちゃん」、後に中田翔や森友哉などのスラッガー専用曲となった「We will rock you」などの選曲はもちろんだが、2005年前後は人文字も重視していた。
それが春夏連覇を果たした2012年にPLモデルの応援から大きく転換し、「そばかす」「SHAKE」「LOVE2000」「OVER DRIVE」「上からマリコ」「Happiness」など、90年代から最近のj-popの曲を多く取り入れた。
また、2015年のセンバツでは「あったかいんだからぁ」、2016年は「Perfect Human」、そして今年は「前前前世」「恋」などその年の世相を表す曲を刹那的ではあるがレパートリーに取り入れている。
こういった応援スタンスの転換は、PLには届かないと感じたのか、自分たちの個性を出そうとしたのかその意図は私の知るところではないが、少なからず大阪桐蔭の野球応援に対する本気度も垣間見えたりする。
正直、今の大阪桐蔭の応援スタイルに満足してる人も多いし、何よりここ数年応援構成にこれ以上の進展がないのは、顧問の梅田先生はじめ関係者の多くが現状に満足している証拠ではないだろうか。
今のままでも十分な声がある中で、私の意見は「重大な欠陥を抱えている」、この印象はここ数年変わらない。
チャンステーマの消失
上の記事を書いた方の話によれば、大阪桐蔭が初優勝を果たした1991年にはチャンステーマが存在したという。
しかし、ご存知の通り、大阪大会ではブラスバンドの演奏は認められていない。
それが大きく影響しているのか、初優勝以降、なかなかブラスバンドも含めた野球応援の機会に恵まれない不運から、チャンステーマの定着含め、応援スタイルの確立には至らず、現在大阪桐蔭の野球応援にはチャンステーマが存在しない。
チャンステーマとは、野球応援の顔であり、応援の終着点でもある。
チャンスは相手のピンチでもあり、特に守備側は平常心をなかなか正常に保てない場面。
その際に、応援スタンドの盛り上がりや圧力の空気がグラウンド上の選手にも伝染し、選手(守備側)の一瞬の心の揺れを生むのであれば、試合の結果を左右しかねない重要な局面となり、守備側にプレッシャーを与えるチャンステーマは何よりも重要視されるべきものである。
選手だけでなく、応援している側や中立であるはずの観客も、「このチームはチャンスになればこの曲がくる」と認識することで、チャンスを求める。
そして、いざその曲が流れれば、スタジアムの空気はガラリと変わり、否が応でも守備側はピンチを自覚し、それが精神的なプレッシャーにもつながる。
大阪桐蔭の応援にはパターンがない
例えが適切かわからないが、長寿番組の話をしよう。
たとえば『アンパンマン』では、アンパンマンがどんなに顔を食べられて力が出なくなっても、ジャムおじさんが新しい顔を作ってくれて、最終的にアンパンマンが悪戯をするバイキンマンを倒すストーリーを誰もが知っている。
『水戸黄門』ならば、御老公の脇にいる格さんが「この紋所が目に入らぬか」という決め台詞とともに印籠を出し、御老公が悪人に鉄槌を下すというストーリーを誰もが知っている。
そういったストーリーの短絡的なワンパターンを繰り返すことが長寿番組につながる、といった社会学がある。
それと同じように、チャンステーマ→得点という法則を観客に植え付ければ、たとえ選曲が得点圏即チャンステーマというワンパターンであっても観客は脳内で逆転を連想し、それを期待することで空気が出来上がる。
野球応援の目的は何か、人によって考え方は異なると思うが、結局のところ球場の空気をつくる、『砂の栄冠』の言葉を借りれば、「球場全体を宇宙空間にする」ことに収束されるのではないか。
いくら演奏テクニックがあってレパートリーが豊富で軽快なリズムで応援演奏していても、最終到達点がどこなのか、パターン化されない応援から宇宙空間を生み出すことは困難である。
「応援」より「演奏」
あくまで私が受ける印象の話だが、今の大阪桐蔭の応援スタイルは、そういった空気感を生み出すための「応援」ではなく、自分たちの実力を全国に示すための吹奏楽部のための「演奏」になっていないだろうか。
大阪桐蔭はその流れるような軽快なリズムで演奏される圧倒的なテクニックで観客を魅了するが、それは観客が聞き惚れるものであって、共にグラウンド上の野球部を応援しよう!というものには映らない。
たとえば、智辯和歌山であれば、初回の大迫力のアフリカンシンフォニーから始まり、中盤以降、得点圏にランナーを進めると満を持してチャンステーマの「ジョックロック」に移行し、智辯一色の空気感を演出、試合を見ていなくても応援の様子を見ればその試合がどんな試合だったのかがイメージできる。
一方で大阪桐蔭の応援は、盛り上がりどころが一体どこなのか、ランナーなしの場面も決定的なチャンスでも選曲は一貫しているため、試合状況と応援がリンクしない。
〆にラーメンを期待していたら前菜が出てくることもある。
大阪桐蔭に決定的に足りないのはそこであろう。
まあ、大阪桐蔭ほどのチームであれば、そんな空気感を気にしなくてもいい圧倒的な戦力と経験があるわけだが…。
他校に学べ
チャンステーマの重要性を説いてきたが、強豪校の多くは「この学校といえばこの曲」というような代名詞となる曲がある。
智辯の「ジョックロック」や平安の「あやしい曲」、天理の「ワッショイ」、横浜高校の「第五応援歌」、習志野の「let's go ならしの」などがそれにあたる。
しかし、そういった曲は終盤戦になるとエンドレスで使用されることがある。
飽きるくらいがちょうどいいとは思うが、耳の肥えた客はそれさえ許してくれないこともある。
そこで日大三高が取り入れているのが、チャンステーマを2曲にしてそれを交互に演奏するというものである。
2009年に、同校OBの竹島悟史さん(NHK交響楽団)が作曲した「Sunrise」と「March“The Hero”」のメドレーからなるのが、日大三高のチャンステーマ「Chance Chance Chance」であり、それぞれコール部分含め35小説、42小説の長尺曲となっている。これは飽きない。
高岡商業も、名物応援曲「The Horse」と「コンバットマーチ」の交互演奏をチャンステーマとして使用している。
選曲の工夫が光ったのが、札幌第一。
昨年の北海以降、オリジナル曲ブームが起きている北海道では、札幌第一が今大会「一高コンバット」を初披露、それだけでなく、メンバーの何人かがOBというサカナクションの楽曲も応援曲として採用するなど、ならではの選曲も行った。
応援曲の選曲をする際、オリジナル曲でなくても、その学校に縁の深い人物の曲だったり、郷土の曲を使用すると、親近感が生まれる。
この「親近感」も宇宙空間をつくる際に重要な要素の一つとなる。
今後への期待
様々なサンプルを示してきたが、大阪桐蔭の今のスタイルを全面的に批判しているわけではない。
試行錯誤を経て現在のスタイルに結びついてるとしたら、それが大阪桐蔭の成果であり、個性でもある。
ただ、不満を言うとしたら、自らの演奏の実力を観客に見せたいという色気が見え隠れしてしまうことだ。
演奏の巧拙が野球応援においては重要なウェイトを占めないということを甲子園のファンは知っている。
その根本的な考え方を改めなければ、大阪桐蔭の野球応援の進展はないのではないか。
少々偉そうな意見ばかりを述べてきたが、大阪桐蔭が高校野球界を引っ張る存在だからこそ、かつてのPL学園のように野球応援でも他校の見本となれる存在であってほしいという願いを持っているのは私だけではないはずだ。
大阪桐蔭ほどの学校であれば、そんな変革容易いのでは?と思ってしまうが…。